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【ベトナム文集:役割分担について】

 投稿者:maho.S  投稿日:2008年10月13日(月)19時56分19秒
返信・引用
  ※メーリスと内容は一緒です

☆竹尾ゼミのみなさん☆
こんばんは。夜分遅くに大変失礼します。
文集についてです☆
報告おそくなりすみません。。。
こないだのゼミでは、文集に載せる内容を考えました。
お楽しみ要素など、これから増えていく可能性はありますが、絶対に載せる部分はこんな感じで行こうかということになりました。
基本的には滞在した都市ごとにまとめようと思います。(細かい項目は下に書きました。)
そこで、さっそく役割分担をしたいと思います。!
4つの都市を1人ひとつ。その他のページはやりたい人が。合同セミナーはグループで。という形にしようと思います。
なので、4つの都市(HCMC・Hanoi・クチ&カントー・sapa)のうちどれがやりたいかを10月14日(火)24:00までにまほケータイ(ne5oashi_bath_factory@t.vodafone.ne.jp)に送って下さい☆♪プラスしたい内容も随時募集ですっ☆
短期決戦で忙しいですが、よろしくお願いします♪
締め切りなど設けて計画的にやっていきましょう♪♪

添付で、今後の動きや体制についてのファイルとホワイトホ゛ート゛写メを貼っておきます★♪目を通してくれるとうれしいです。
何か間違いや、より良い提案などあったらまほまで!!!ぜひお願いします。
それでは~☆
明日は悲劇的なことに1限クラスがあるっ!!!;ので・・・おやすみん~。
まほより

↓以下文集の内容↓

1.地図
2.スケジュール一覧
3.日誌(ゼミノートからコピー?)
4.ごあいさつ(出会った人から私たちに向けて ex.下玉利さん、橋本さん、総領事?)
5.HCMC
   (a)ホーチミンはこんなところ!
      ・概要
      ・生活・食事・街の様子
   (b)訪問
      ・領事館
      ・DAIWA PLASTIC
             ・人文大学
      ・白井さん
6.HCMC周辺
   (a)クチ
   (b)カントー
7.Hanoi
   (a)ハノイってこんなところ!
             ・概要
             ・生活・食事・街の様子
   (b)訪問
      ・サッカー
      ・日本人小学校
              ・塩川さんファミリー(nagu・さくら幼稚園)
      ・日本語交流協会
8.Sapa
    (a)サパってこんなところ!
             ・概要
             ・生活、食事、街の様子
    (b)golden hotel
    (c)trecking
    (d)Home stay
    (e)eco lodge
9.合同セミナー
    (a)全体について
    (b)各グループのパワポ
    (c)各グループのディスカッション報告
    (d)共有タイム?
    (e)まとめ
10.メンバー紹介!
    (a)ゼミメンバー+先生
    (b)ベトナムで出会った人々~
~その他~
―コラム(ページの空いた隙間に本文に書ききれなかったけど載せたいことを載せる。面白エピソード、印象的な瞬間etc…)
―特別寄稿(ベトナムに行かなかったゼミメンバーが夏を語ってくれます!カナダ・シリア・沖縄?etc)
以上。
 
 

9月26日(土) 晴れ、薄曇り

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月28日(日)20時49分50秒
返信・引用
  ついに実習の最終日を迎えた。案じていた体調不良組も薬を飲んで一晩休んだら、ケロリとしている・若いから回復も早いのだ。今日は、僕があれこれ差配しなくても、それぞれのグループで逢いたい相手があったり、行きたい場所があったり、と予定を組んでいる。ベトナム人学生たちも集まってきて、同道してくれる。アスリートの男の子たちはサッカーを通じて仲良しのウィンさんが迎えに来て、何処へともなく。もう1グループはシルクの工房で知られる村へ遠足。病気組は大事をとってホテルで養生。僕もホテルに残ることにした。一つにはユリコさんたちと昼食をと約束していたのと、病気組の急変などがあった際に対応できるように、また自分自身も疲れを取って帰国後に備えなければならない。秋学期ギリギリまで実習をやっているあおりで、帰ってすぐに授業を初めとして仕事満載。疲れをとって休んでいる暇がない。ところが・・・先日体調不良を伝えたユリコさんから連絡がない。昼過ぎになっても電話も通じない。仕方ないので諦めて一人で食事に。手打ちパスタを食べようと、セオモ(バイクタクシー)をはずんだのに(1万ドン)なんと、目当ての店はシャッターが閉まっているではないか。どうも今日はついていない。それで散歩しながら路上の屋台で小エビの天ぷらとサモサのような揚げ物を1万ドン、ついで鶏のフォーにペプシ。ホアンキム湖を巻いて帰る。雨に洗われて湖もしっとりと落ち着いた様子を見せている。帰途、やはり単独行のワンちゃんに逢う。
 ホテルに籠もっているのも無りょうなので、先日ベトナム戦争物の有名なものをまとめて買っておいたDVDを観ることにする。F.コッポラの『地獄の黙示録』をみんなに見せようと試みたのだけれど、軍隊の猛者の使う判りにくい英語で筋が追えずに断念。後に字幕が英語でも出せることに気がついた。しかし海賊版のDVDらしく、英語のスーパーも相当にいい加減で、これだけを追っかけていてはとても意味がわからない。クイズのようだ。日本語のものがついているものもあるけれど、ムチャクチャ。翻訳ソフトを使ったのだろうか、編集する手間はかけていない。“PLTOON“も買っておいたのだが、帰国後に自宅の再生機で観ようとして、どうしてもスタートしない。やれやれ、である。
 『黙示録』は何回目だろうか、しかし久しぶりなので筋も細部はだいぶ忘れている。J.コンラッドの小説『闇の奥』を原作(ただしこちらの舞台はコンゴ)に、ベトナム戦争の狂気を描いた大作として名を残している(1979年発表、未完成のままでカンヌ映画祭に出展してグランプリ)。ベトナムでは撮影できないので、フィリピンで撮影、61週に及んだという。制作費も膨らんで90億円に。この負債を埋めるためにもコッポラは『ゴッドファーザーpart3』を制作したと言う。陸軍特殊部隊(グリーベレー)の大佐(M.ブランド)が反乱を起こして軍を離脱、カンボジア領内のジャングルに自らの王国を作っているというのを、やはり特殊部隊のウィラード大尉が暗殺に出かける。彼をキャプテンとした上陸艇の1隊が川を遡ってゆく間に、戦争の狂気をつぶさに目の当たりにする・・・という筋立てである。公開当時から、ベトナム戦争に対する批判的立場、力や暴力を否定してはいない描き方など毀誉褒貶の多い作品だった。ベトナムの戦跡を歩き、その子孫たちにも接した実習であって見れば、こうした作品を取り上げて、ぜひともディスカッションしてみたいものである。秋学期に何らかの形で実現させたいなぁ。僕の分析と評価はその折に。
映画も見終えて、そろそろ最終局面。6時前にはみんなが集まりだした。ベトナム学生もやってくる。近所の屋台で三三五五最後のベトメシ。揚げた麺に肉野菜かけ、さらにチェまで足を延ばす。8時半に空港までのピックアップヴァンがやって来る。ベトナム人学生は一人ずつに渡す土産まで用意してくれていた。一同感激のお別れショット、なかなか名残が尽きなくて、ヴァンに乗り込まないのである。9時近くに出発、空港までのハイウェーには交通事故2件、いまだに命の重さの軽い社会なのだろうか。(1704字)
 

9月25日(木) 一日雨

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月28日(日)20時48分50秒
返信・引用
  サイゴン滞在中にヨガ仲間であったユリコさんと電話で話したが、体調不良でひっくり返っていた。明日治ったら昼にでもと。それでマッサーのいいのを聞いて、ホアンキム湖の横にあるQTマッサージというのに行って来たら、これは最高。資生堂のクリニックのような店舗とセットの2Fにあるのだが、非常に清潔で高級感がある。ホーリスティックマッサージというのとタイマッサージというのが1時間からあるのだが、違いはエッセンシャルオイルを使うか使わないか。つまりボディマッサージのオイルの有無らしい。オイルありで90分を選んだら、$40、これに10%のサービス料と5%の消費税で、$46少々。普通の街のナンチャッテ・マッサーに較べればずいぶん高い。町中なら60分でチップ込みでも$10までだろう。しかしクオリティーがまったく違った。まずシャワー。それから極めて清潔なベッドへ。相客はバース(オーストラリア)から4日前に来たという体の大きなおじさん、奥さん共々雨に降られてくさるのでやって来たのだと。ちょっと挨拶して二人してマグロになる。お姉さんは制服を着て30前後くらいかな。これが魔術のような手の動かし方で、たいして力も入れないのだが、二本の掌が優しく背中を腕をと滑るように押してゆく。これはよく効いて、図らずも入眠。なかなか結構な1時間半でした。雨も少し上がりかけて明るくなったホアンキム湖畔と旧市街を歩いて帰って昼になった。
昼、男の子たちは腹が減った、とフロント付近でウロウロしているので、いっしょに近所の屋台へ。雨が降るので、すぐとなりでBunと春巻き・肉を付け汁でと思ったが、焼きフォーが良いというので、少し足を延ばした。汁のフォーと焼きそば風、また揚げて牛肉と野菜炒めにとろみをつけたものをかけたものなど多彩である。どれも喰いたいそうで、人数分より余分に頼む。取り混ぜて、男5,女1に対して、9人前頼む。一人で二人前、汁と焼いたのを食べ、いくらでも食えると嘯いている。日本では外食が大変だろうに。夜は有終の美をビシッと締めるために、ベトナム組など呼び出してチェコのビアホールに行くことにする。ヨガはエコロッジで2日やったのみ。
 さてなかなか連絡がつかなかった民間の日本語学校ニュイチェックへ5時頃から出かける。一部学生はCapital Hotelのフロントのお姉さんとすっかり昵懇になって、そのご実家の孫の誕生パーティーへ。彼女自身はハノイ工科大学の2年生で、例によって2部制の授業が昼には終わってしまうので、その後にはこのホテルのフロントで働いているのだ。本当は韓国語の希望であったが、第二希望の会計学の方へ回され、つまらなくて困っているという。しかしフロント業務は有能で、しかも明るく親切、合間に英文の宣伝文などホイホイと作っている。ベトナムの女性のしっかり者というのは伝統なのだろうが、新しいこう言うヴァージョンによくお目にかかる。今後女性はどのようにこの社会を担っていくことになるのだろうか。この頃に及んでついに体調不良を訴えるもの、若干名。胃腸の調子が悪く、吐き気がおさまらないと言うので、2名はホテルで養生。だいぶん少なくなったが、タクシー2台でヌイチェックへ5時半に到着。首尾よく事務方から引き継がれて、上級クラスへ。若い人の多い20名くらいのクラス。いすや机は小学校上級のお下がりのようなものだ。自己紹介からはじめて、小グループに分かれて自由に会話を。出国前からあまり気乗りしない感じで、準備がほとんど出来なかったのだが、30分だけという短さもあり。長い旅の間にだいぶ度胸も据わってきて、ベトナム人と接する呼吸も身に付いてきた。案に相違してほとんどアドリブながら、所定の時間を円満に過ごした。記念撮影をして早々に引き上げる。それにしても日本語を学ぶベトナム人の熱意には驚かされる。若干は日本にお姉さんが嫁いだ等の縁があるようだが、ほとんどは将来のビジネスへの利点を見込んでのことと言う。高校生や中学生もやっている。
 ほど遠からぬ(筈の)ビアホールまでタクシーも停められないので、そのまま歩いてゆく。この辺りは旧市街の観光地と異なって、まったくのベトナム人の生活圏だ。途中にイヌのローストをショーウィンドーに飾っている屋台風食堂あり。犬歯をむき出しにした形相のワンちゃんの哀れな姿である。女主人は易々と中華包丁で肉を捌いている。写真をわざわざ撮りに行くこちらがヘンな顔で見られるくらいである。チェコのビール技術を移植したというビアホールは、ビルの立派な建物の2Fで、高大なスペースに生バンドも入っている。5リトル入りという虚仮脅かしのようなビールスタンドを頼んで一同大喜びである。ベトナム人学生も、いろいろなバイクで7,8名も駆けつけてくれた。鶏のスープを病人への土産に9時過ぎに帰る。20名近くで$180だったそう。何人かの学生はホテルまでも来てくれて、さらにお喋りを続ける。病気組1名は、大事を取って外国人専用の救急病院SOS Hanoiへ。ベトナム人の若い医師が担当で、疲れなどの複合的な作用による一時的な下痢であろうと。念のために抗生物質やいろいろ出して貰う。こちらの費用は$129であったが、海外旅小保険のおかげさまでキャッシュレスである。帰ると12時過ぎ。(2180字)
 

9月24日(水)曇り

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月28日(日)20時47分8秒
返信・引用
  エコロッジの生活は快適。午後からは下の谷から風が吹き上げる。昼寝に最高。みんな爆睡。このロッジはデンマークの資本90%にベトナム資本10%で2003年に赤ダオ族のThanh  Kim村に施設が竣工、運営している。環境に配慮して、地元社会への還元をコンセプトにしているそうで、バナナかクバの葉の葺いてあるコテージが24棟、いずれも谷に面して横にずらりと建ててある。従ってテラスから臨むものは向かいの山々と、谷間の少数民族の村のみである。太陽が移動するに従って、山は表情を刻々と変えてゆく。手前の峰は緑が深いが、奥の方の峰は黒っぽく霞んで、墨を流したように見える。そのコントラストが美しい。最近は山の中腹に重畳たる道路が切り通されて、街灯まで点けられて、村人たちの便を図っている。夜の静寂の中に道路の街灯のみが線を引いているのは、気楽な滞在客には興ざめであるが、生活している側には決定的な変化であろう。このロッジにも昨年にはなかったインターネットが事務室には引かれたそうだ。食堂棟はタイ族の民家2棟を移築して合成したそうで、各コテッジの木材などもみな地域の山から認可を受けて切り出したそうだ。大理石も。5000平方メートルの菜園をもって、鶏や豚を飼育、ハーブも育ててなるだけ自給で食材を補うよう努めている。飲み水を除いて水も山からのものを濾過使用、ガーデニングには3名の少数民族を雇用、食堂のスタッフもサパなどから。英語が不得手とか、サービスの行き届かない点はご容赦を、と言うことだ。電気はソーラーパネルで、シャワーの温水もソーラーから。滞在客のおおよそは西洋人のようで、日本人が来たことがあるのか不明。ビュッフェの夕食は、豪華なものではないが、十分に愉しめるもので、なによりロケーションがご馳走である。ハノイビールにイタリアの白ワイン1本など空ける。食後には階下のバーを占拠して、チェスに興じたり、ベトナム学生と話し込んだり、外のテラスの寝椅子に満点の星座を眺めたり。誕生パーティーも挟まれた。
 台風の接近で、ラオカイには注意報が出ているという。近頃の異常気象で、台風の発生など異変があるそうだ。4ヶ月前に2週間ほど交通が分断されたという。滑りやすい山の道は大雨や地震(あれば)などの天災に対しては脆弱なのだろう。道の途中でも、大雨によるのだろう、道が崩れて普請を待っているところがある。
 11時のチェックアウトで、もう少し休んでゆきたいところを、Topasの事務所へ移動。荷物を預けて、再びSapaの街だ。昼食は少数民族の料理をと探したが、いろいろ足並みがそろわなくてベトナム家庭料理に落ち着いた。しかし豚の挽肉をカルダモンの葉で巻いたものとか、鶏の蒸し煮などなかなかのボリュームであった。18人分を$5と見積もってお任せである。男子は例によって、フォーを食べてさらに。しかし満腹すぎたのか、その後の勝負に支障を来したのかも知れない。3時からは町はずれの立派な芝のグランドで地元サッカーチームと親善試合である。しかしいちおう真剣に試合後のビアホイのビールを賭ける。ちゃんと審判も雇い入れて、経費は100万ドンを折半。折り目正しく挨拶を交わしてからのプレーオフである。始まってみれば、なかなか手に汗握る展開で、ベトナム勢の強襲がなかなか手強いのだ。こちらにはガイドのタンさんをはじめ、ハノイからの学生諸君も加わって貰っている。先制点はSapaチーム、しかし辛いところで阿部健のパスをタンさんが押し込んで同点に。その後は一進一退が続くのだが、段々とSapa勢の攻勢に押されて、なかなかシュートまで行き着かない。ハーフタイムに追加点を入れられ、小憩後にはいささかスタミナ切れでさらに追加点を許す。時折、我がチームからも火を吐くミドルシュートが繰り出されるのだが、惜しいところでコーナーポストに阻まれたりで、追加点を挙げられないのである。そして悔しいタイムアウト。いかにも残念そうなしょげ返った様子がなかなか男らしかった(ヘンな褒め方もあったものだ)。それはそれとして、町中のビアホイへ河岸を移して、お疲れさん。ハノイビールが30本あまり並んだろうか。もう2.3日滞在を延ばすのなら、イヌの1,2匹も潰して歓待するのに・・・だそうだ。やはりこの辺の発想のたくましさが根本的なエネルギーの源となっているのだろうか。別れを惜しんで、ラオカイへ向かう。折からの異常気象で、台風発生。ハノイは大雨だという。懐かしいSapaに別れを告げて、再び車上の人となった。(1868字)
 

9月23日(火) 少々曇り

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月25日(木)09時51分26秒
返信・引用
  9時出発まえに前庭で朝食。果物が豊富で,パンケーキもついている。付き添いのコックさんたちの苦労がしのばれる。夜明けを見に起きたグループもあった由だ。男の子は河まで朝の水浴びに。女将さんに別れを惜しんで、出発。村を抜けて、坂をあがる。写真を撮っていたら、はぐれてしまった。頂を目指して上から見れば巡り合うだろうと、さらに上り続けるのだが、見当たらない。いっしょにはぐれた朝香も少し不安げに戻りましょうと促す。ついにガイドのタンさんから携帯に電話。河に平行した道をたどって隣りの部落を目指すのだという。民家の軒先に、子供たちに囲まれて人待ち顔の一行に再会。それから2時間あまりアップアンドダウンを繰り返してから、昼食の川辺の茶店に。このあたりまで来ると、モン族とは異なって、ザイ族のテリトリ-で比較的に裕福である。キン族かと思われる雑貨屋なども軒を連ねている。昼食のフォーを待つ間に、学生たちは川遊びに興じる。ベトナム人学生は加わらず、日本の学生さんたちは元気ですね、と。釣られてか、西洋人のツアー客も、若い男女が水着に着替えて入っている。昨日は隣の民宿にオーストラリアからのツアーだというおじさんといっしょになった。タイから入って、ラオスを経てベトナムは3週目だという。長閑なツアーで、日本風の駆け足旅行とは異なって驚く。観光客の数が増えるに連れて、路傍で声をかける少数民族の数も多い。子供もたくさん。滞在型もビクトリアホテルなどの丸ごと西洋のような植民地的豪華ホテルでなくて、ガイドを雇ってポクポクと歩くエコツアーもかなり浸透してきているように見える。やはり足を使って、棚田のあぜ道や村の境界の竹林をめぐってみると、ここに住む人たちの暮らしぶりが少しでも見えると言うことだ。冷房の効いたバスでサーッと(一応)舗装された街道を通り過ぎて、ガイドさんの説明を聞いてもモン族とザイ族の微妙な豊かさの違いなどは見えるわけもないだろう。
英語の会話が相当にうまい黒モン族の女性としばし話し込んだ。お腹が大きい、19歳だが、17歳で嫁ぎ、第二子を待っているそうだ。英語は観光客からの見習い、書けないと言うが、立派なものだ。こちらが注意して話せば、ほとんど会話が成立するくらい。藍染の布で、刺繍していない素材はないかと聞いたら、自宅に引っ張っていった。物干し竿に染めたものが掛けてある。幅は狭いが長さは数メートルに及ぶ。母親の制作とかで値引きできないそうで、別の家には自分の制作のものがあるから来いと言う。それから道すがらポツポツ話して面白かった。お母さんは40歳で6人娘ばかりだという。20分くらい同道する。お母さんというのも家から娘やら孫やら引き連れて出かけてきた。一番下はまだ乳飲み子で、孫と娘が同い年くらいである。上の4歳くらいの娘が甥を負ぶって、刺繍物を出しては、”Buy for me”を繰り返す。結局反物丸ごとを50万ドンで購入。麻は母子で織ったそうで、モン族の衣装が2着半取れるという。藍も傾斜地の畑にそこここ植えてある。歩いている女性も手に草色がかった麻糸を休まずに紡いでいるのを見ることがある。中国からの安い織物が入ってきて、化学染料で染めたものに刺繍を施しているのだろうと高をくくっていたのだけれど、存外に昔ながらの伝統を守っているのだ。これがいつまで続くことだろう。ガイドのタンさんによれば、若い世代は半分くらいが民族衣装、あとはベトナム人風、つまり西洋風だという。ダイ族などはあまり民族的な感じがしなくて、むしろ中国風にも見える。5年あるいは10年後に訪れたなら、もう民族衣装を着て畑に出たり、土産ものを売り歩いたりという風俗は見られないのかもしれない。あるいは観光客向けだけに扮装するのかしらん。3時過ぎには終着駅であるエコロッジに到着。ピックアップの時間差などで、一同が部屋に入った際の印象を聞き漏らしたのは残念であった。夜は雲が少しかかったものの、満天の星空を浴びるように味わった。問わず語りのお喋りも愉しいものだ。
「豊かさ」とは何か?と言うテーマを持ってきたグループもあったけれど、このサパで過ごした時間はどんな豊かさであったのか。すこしでも考えるヒントになればいいのだけれど。(1734字)
 

9月22日(晴れ)

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月25日(木)09時39分26秒
返信・引用
  9月22日(月) 晴れ
6時前からなんとなく人の気配をきく。Golden Sea Hotelという山中にふさわしからぬ名前の宿であるが、その前の道普請だろうか。さかんにコンクリートを流して傾斜地を平らにしている。昨夜の犬の料理の後味が残っている気がする。7時半に越洋折衷の朝食、犬塚くんのみあり。感心な面々は朝の市場見物に行ったという。フィールドへ出たならば、なるたけ朝方の生活に切り替えて、ほっつき歩くことがいい。田舎の生活は、なにしろ朝が大事だ。後で聞くと、山羊を屠殺しようとしているところもあったそうだ。惜しいものを見逃した。9時にガイドのタンさんがやって来る。なかなか時間や進行に几帳面な性格であることが後に明らかになる。ホテルからつるべ落としの坂をどんどん下って、赤モン族のCatCat集落を目指す。途中に森林保護の事務所を見、また日越合弁で建設中のホテルの建物を山の頂に見る。また利を漁って、一頭地を抜いたところに建てているが、果たしてこのサパの土地柄に見合ったプロジェクトなのだろうか。昨夜以来、町が心なしひっそりとさびしい気がする。昨10月に1週間滞在したときには、もう少し西洋人の姿も深夜まで絶えなくて、活気があったように思うのだが。ちょうどシーズンの変わり目なのかしら。また少数民族は山間の棚田を丹精こめて耕した一期米のちょうど刈入れにあたっており、野の中に歩みを進めると、そこここで稲刈りや、脱穀に余念がない。脱穀は、カンシのような木の鋏状のもので、刈った稲穂の束を振り上げて、渾身の力で振り下ろす。それを大きな台形のお櫃のような木箱の壁に打ち付けて、脱穀をしている。これを棚田のしたから上に向けてなど引っ張りあげて移動させるのだ。内径で2メートル×1.5メートルというところか、同じ形状である。籾は竹で編んだトウミに入れて、頭上たかくからサラサラと落として、風籾殻をとばして分けている。これを袋につめて、男たちが背負って歩く。中国からの飼料の空き袋が目に付く。40キロにおよぶ玄米の袋を男たちは、担いで家に運び、河を渡る。足踏み脱穀機は1回だけ、赤ザオ族の田んぼの脇で見かけただけであった。

われわれの一行はガイド1に、コック1ここまでがキン族、黒モン族のポーター4人、それにツーリズム・エージェントからのモニタリングに1名という大所帯だ。ポーターはバイクが2台で、宿泊用の荷物をブルーの防水バックに入れて、プロパンボンベと共に、ダートともいうべき山のうねり道を走ってゆく。残り2名は、竹の背負いカゴの上に鍋やその他を積み上げて黙々と歩いてゆく。きついときには腕を胸の前に組む。幼いころから山道の畦を上り下りして来たので、日常生活の一部であろうが、それでも楽なことではないだろう。寡黙に仕事をこなしている。暑いのであろう。たくしあげてあるズボンの先から見える脹脛の筋肉の盛り上がりは見事なものだ。

ホームステイ先は、ダイ族の民家であった。黒・赤のモン族はまだ受け入れる体制が取れないもようだ。この村にも、いくつかの大きな民家はきれいにリノベートして、気難しい外国人(西洋人)のツアーにも応えられるようにしている。便所などは出色で、山の水を引いて、常に流しっぱなしの水洗だ。トイレットペーパーの置いてあることも、行き届いている。女主人は小柄なおばぁさん、チェックの花柄のスカーフを頭に巻いていて上機嫌だ。夕食のはじめには焼酎の乾杯の音頭を1回とった。モー、ハイ、バッ・・・ゾウ!!で一気呑みだ。ペットボトルの再利用で、1本2ドルくらい。ビールが1から高いレストランで2ドル、庶民が手っ取り早く酔いを求めるにはこうした強い酒が必要なのだろう。ベトナム学生やガイドも交えて、宴は延々と夜更けまでつづいた。(1529字)
 

9月21日(日)晴れ

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月25日(木)09時36分59秒
返信・引用
  5時半にラオカイ到着、朝霧がうっすらと街を覆っている中に汽車は滑り込んでいった。5時くらいには客室を引っかくように、到着の前ぶれがあり、コーヒーかお茶はご入用かという。なかなか熱心なものだ。しかし寝覚めの温かいコーヒーの魅力は大きい。1万ドン。
ガイドさんも待ちくたびれて、携帯に電話してくる。駅前のレストランで朝食は鶏と牛のフォーにパンケーキや、果物までついてくる。まぁ$5だから。フランス人のツアーグループは、フランスパンにコーヒーの定番メニューを崩さない。バクハの日曜市を目指して2時間半。ハイウェイというが、いたるところで工事中。路面の穴ぼこを避けてバスを走らせるドライバーの苦労がしのばれる。しかし減速したり、跳び上がったり。挙句の果てに工事中の幹線を避けて、村を抜けるショートカットである。途中、増水したクリークを渡河する局面もあった。ジープがふさわしい。途中の村々は、キン族と少数民族の混住地帯、お茶の栽培が目立つが、キン族のみという。お米も二期米の刈入れがすでに終わって、田植えもすんで、青々とした稲田が続く。サパでは標高1600メートルの冷涼地であるためだろうか、1期しか作らず、稲刈りはまだこれからのところもあるという。街道沿いの家々に衛星放送受信のパラボラアンテナが立っているのが目立つ。後に聞いてみると、3年ほど前に入ったそうで、6チャンネル、ベトナム語の放送のみ、中国語などは入らない由だ。TVが1台300万ドン、水牛が600から800万ドンで売れるという。タイ族の家で聞いたら、他の電化製品はないらしい。扇風機が2台、しかし電力供給が乏しいので、まわりも緩やかだそうだ。少数民族の結婚は早く、女子で14から16歳といい、男子でも16から18歳。しかしラオカイから近いタイ族は、もう少しだけ遅いそうだ。民族衣装もここぞ問いセレモニーの際にだけつけるのだそう。トレッキングの予行演習で1時間ほど歩いた後には、川くだりのサービス。暑い日差しにじりじりと焼かれて、誇りっぽい道を歩いた後だけに、川風が心地よかった。一同感激である。その後、バスでラオカイの中国国境のゲートや端を見物。物凄いショッピングモール?のビルが建造中で、近日オープンという。荷車に物資を満載して通る者もあり、また日傘をさして気軽に散歩気分で橋を渡る人もあった。さぞかし物資に溢れた国境の街なのだろう。中国の仏教寺院では、音楽の伴奏に合わせて美丈夫な男性が衣装を着けて、何らかの儀式をやっていた。彼を取り巻いて、おばぁさんや子供たちが円座に座っている。二人の助手役が、緑の絹の布を器用に頭に巻きつけてゆく。終わると、同じ緑の衣装を着せ掛ける。音楽は転調して、立ち上がった男性が喜びの舞のような所作を行う。時に両手に蝋燭をかざして、ステップを前後に踏む。周りは手拍子であわせ、なんだか目出度いことのようだ。結婚の決定でもあったのかしら。立ち売りのおじさんから甘いプルプルの氷菓子を買い求める。一路サパへ。懐かしい屋台村が撤去されていたのには落胆させられた。ガイドのタンさんはサパの出身で、仕事の後まで付き合って、地元に一軒という犬料理屋へ。女子は辟易しながらも、よく付き合った。山羊もあわせて出てくるのだが、どれがどれだかわからない。スープ一種に炒め物、極めつけは最後の臓物と血を煮込んだものだ。ベトナムの兄ちゃんは面にかけて食べている。小エビの塩辛のような漬け汁が強烈な臭気を放っていた。やはり胃にもたれる料理だな。みんな良くがんばりました。ここまでローカルな食べ物屋に付き合えるところまで来るとは思っても見なかった。男の子はともかく、御見それいたしました。
 もう少し考えて見ましょう。いわゆる先進国を旅行していると、整ったレストランやデリバリーで日本とあまり変わらない食をはじめとする生活環境を保てるので「カルチャーショック」というものに早々めぐり合いません。それでも細かいところでは相当にぶつかりはしますが。しかし、アジアさらにアフリカなどを土地の人々とできるだけ等身大のところで旅していると、相当驚かされることがしばしばです。当人たちにとっては生まれてからの習慣で、ごく当たり前でしょうが、外から来た僕たちには、これってどういうこと??と仰天すること、気持ち悪いこともよくあるでしょう。ベトナムでもそういう経験を重ねたことと思います。「グロテスク、気持ち悪い!」と思う感情そのものを否定することは不可能です。また食べ物を口に入れて、美味しいと思えないとか、この素材は聞いてからでは受けつけにくいとか、これも誰にでもあることです。ただそこで引いてしまわないで(ドン引き?)ちょっと立ち止まり、彼我のちがいを考えてみてほしいのです。どうしてこの人たちはこういうものを食べて、平気、または美味しいと思っているのだろう?なぜ自分は受けつけないのか?翻って、自分が日常当たり前と思って口にしているものは、万人受けするものだろうか?どれが誰に受け入れられて、受け入れられないだろうか?それはいつからのことだろうか?などなど疑問はたくさん出てくるはずです。概してひとは自分が「自然」で、当たり前と思っています。しかし文化圏など異なる人には、それはまったく異質なものでありえるのです。グロテスク、という感覚が生じるのはそのあたりと関連していませんか?
 僕自身のことを書きましょう。犬の料理は、韓国のおじさんたちが賞味し、台湾では過酷な勤務で知られたタクシードライバーが精をつけるために酒で流し込む、ということも昔から聞き知っていました。そしてここベトナムでも、庶民料理の勇ということで、一度味わいたいと思っていたものです。陰暦の後半にのみ食べるとのことで、前半は閑古鳥が鳴くありさまと。塩川だんなは嫌で、さくらさんはけっこういけるとも。それでガイドのタンさんの知り合いがサパに開いていると聞いては、捨て置けなかったものです。サパの中心街を抜け、教会やグランドなども過ぎ、どんどん地元の地域に入っていきました。その辺は山の眺望もなく、ゴチャゴチャして高原の避暑地という瀟洒さにはほど遠い場所、聞けば夏休みに暑さを逃れようというベトナム人がおおく滞在するホテルに、料理屋、雑貨やカラオケが櫛比する場所です。さらに路地を入って、暗い道を進むとなんだか不安になりますが付いて行くしかない。その一角にボーと明かりのついた、地味めな看板もろくにない、しかしテーブルの並べ方から料理屋とわかる店でした。二階に案内されるが、他に客もない、貸しきり状態。タンさんの采配で、ビールに緑茶、Happy waterと称する米の焼酎などに、料理を注文。居心地の悪そうな、しかしがんばって着いてきた女性陣の気持ちも考えて山羊を7割、犬3割と注文。しかし問題はつぎつぎに出てきた料理のどれが犬で、山羊かわからない。疑心難儀の状態で、運を天に任せて食べる人、ベジタリアンと決めて手を出さない人、いろいろです。男子はもうビールの酔いもあって、何でも来い。ベトナム人学生はもちろん平然と摘んでいます。漬け汁がいろいろ出るが、出色は小エビを発酵させて作る、これもニョクマムというのか、醤の一種は、いろも薄い紫色にに少し粒が入り、しかし強烈な臭いであった。唐辛子なども加えて、肉をつけて食べている。野菜も生姜の味がするマコモのような茎の白いものや、ハーブのような癖の強めの生野菜がかごに盛ってある。路傍の草のようでもあるけれども、一口大のライスペパーに肉などといっしょにくるめば、けっこう行けなくもない。まぁ、美味しくてどんどん食が進むというものではありませんがね。野菜は瓜科のものを茹でたものが一品。スープは青い野菜のものと、とろみのあるこれは確実に犬のもの。案外出しがきいていて、美味しかった。極めつけは犬の内臓や肉を血で炒めて煮込んだものであった。味はまぁ、東京の下町の居酒屋で自慢にする「煮込み」をもっとくどくこってりとしたような感じだ。しかし相当強烈ですね。においも独特のものがある。犬肉の香りは、生きた犬にもよくわかるらしくて、食べた後には飼い犬も敬遠して近づかないという説がある。俺の仲間を食いやがったな、という感慨であろうか?人間の1万倍とも言われる嗅覚なら嗅ぎ分けることは予想できる。
ペットに飼っている諸君、帰国までにはにおいも消えていることだろうが、愛犬がどんな顔をして出迎えるか、よく観察してください。(3456字)
 

(無題)

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月25日(木)09時35分1秒
返信・引用
  夜11時くらいには窓の下の街路でアンチャンが諍い事。声高に話しているのがずっと続くので、すわっ喧嘩か、と期待したがなかなか殴り合いまでは行かない。現地の人に聞くと「殴るぞ、殴るぞ」と予告しながら、実力行使までは滅多に行かないそうだ。何か腹に据えかねたことがあったらしく、30代の兄貴はウロウロしながらさかんに檄を飛ばしている。そばには腹いせにひっくり返したモーターバイク。思い出せば、前回滞在時にも、怒ったアンチャンがバイクを路上にひっくり返していた。オートバイは彼らの生活手段、女の人よりは男が乗っていることが多い。セオモ(バイクタクシー)も女性のものに逢ったためしがない。後ろから座る商売だから当たり前だろうが。もはやアイデンティティーの一部と化しているのではないか。昨夜も、Topasのセールスマネージャー氏とコーヒー飲んで、送ってもらう道すがら久しぶりに車上の人となったのだが、渋滞の多い道を縫うように走るのはなかなか気持ちがいいものだ。夜風も耳元に心地よい。
客待ち顔のセオモの運ちゃんなども、器用に補助席まで体を伸ばして、ほとんど昼寝までしているのを見かける。日本車がシェアを誇って、HONDAはバイクの代名詞であった時代もある由だ。古くはロシア製のものが安価で出回っていたらしいが、もう好事家の外国人だけがマニアックに乗るのを見かける程度だという。塩川君は10年近くまでの留学時代に、ハノイからサイゴンまで3週間かけて南下したそうだ。ロシア製バイクは故障も多くて、数キロにわたって押して歩いたこともあったそうだ。これだけの根性を今日のわが学部生は持つであろうか。

夜明け前に驟雨の音を聞いた。5時くらいからもう近所は起き出して活動開始である。どうして、6時台からスピーカーで拡声した音を流すのか不可解である。現代的なテクノロジーが入ってきて、その能力を遺憾なく発揮させるのはいずこの社会も同じだろうが、それがなかった時代の静けさとか、落ち着きを人はどんどん忘れてしまうのだろうか?荷風が戦前に、隣家のラヂオ(ここはこう書く)の音と軍国主義的な演説に悩まされ続けたのは有名だけれど、ここでも人々は近代の音に急速に馴らされているのだろう。近代は音や匂いに対する感覚をどんどん摩滅させてゆくプロセスであると言うのは、いささか大げさかしら。
午前中には朝食をかねて散歩。やはり朝の光を浴びて、街の住民は生き生きと生活を始めていた。雨に掃き清められた街路に老若男女が繰り出して、市をなす勢いである。路傍で女主人が小さなフライパンで卵を焼いている。1つ割っては刻んだ野菜と混ぜて、丁寧に焼き上げるのだ。小さなオムレツだが、野菜が勝って緑が強い。少し焦がしたような感じだが1枚注文。隣には女子高校生くらいの年齢の子が加わって、ホピロン、孵化手前の鶏卵を茹でたもの、を注文している。針生姜とドクダミ?塩を椀に持ってつけて食べる。豆乳も瓶入りで並べてあって申し分ない。隣のほうにも麺売りや、春巻きなどそれぞれ朝ごはんを摘んでいる。小さなプラスティックのいすに腰掛けるスタイルは同じ。また合間には平たい編みかごにいろいろな野菜を満載して売っている。小さな八百屋さんだ。肉をベニヤの上で切り分けているおばさんも。そこへ、自転車やバイク、徒歩でいろいろな人が通りかかる。あまり多彩で面白いので、ガジュマルの木陰に陣取って定点から撮影することにした。それから少し先に行くと、ゴタゴタトと店先に文具や小間物が積んである古めかしい店だ。親父さんがニコニコ笑いながら招じ入れるので、ちょっと寄るかと。文人趣味の墨や筆や文具を扱う店だあった。几帳面な性格らしく、二階のダンボールなどの畳み方も綿密である。稚拙ながら少し面白い多色版画があったので、見せてもらう。3枚購入。カエルの嫁入りのような意匠だ。バチャン焼きの小皿も可愛いのがあったので6枚購入。二重に包装して、緩衝材まで入れてくれる。彼は口がきけないのであった。全部払っても10万ドン足らずの買い物。
 さらに歩き続けると、比較的に大きな骨董屋。つい入ってしまうと、主人はわりに娑婆っ気のつよい人物でしきりに薦める。1000年前と強調するばかりで、細かな分類や際には興味がない模様だ。売らんかな、という姿勢にやや辟易するが、白磁や天目茶碗にはつい目を奪われる美しさや、形の緊張があるものもあった。平茶碗と湯飲みサイズの柔らかな志野を思わせる小ぶりな茶碗、それに貫入の入った猪口を買う。結構朝から散在している。帰れば9時だが、学生たちの姿はまだほとんどない。疲れが出たのだろうな。

昼前にゆり子さんにつながって、ランチを共にする。Hang Beの古い屋敷を再生利用しているGreen Tangerineというフランス料理屋だ。ランチは9ドル足らず。デザートも美味しい。それからホアンキム湖まで散歩、のどかにおしゃべりする。別れてまだ暑い日差しの中をホテルに帰ると、学生諸君も少しずつアジールを求めて戻っている。8時まで外に過ごすのは大変だ。三々五々連れ立って、近所のビアホイで夕食。テールシチューが絶品であった。一同は満足した模様だ。他の諸君はどこで食べたことか。町に出てサッと美味しいものを食べる技術を身につけて貰いたい。

8時に駅の待合ホテルへ。ベトナム学生も集まっている。9時15分定時に列車は出発。車上の人となった。(2200字)
 

9月19日(金)少し曇った晴れ

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月20日(土)01時10分38秒
返信・引用
  6時前後には地域住民が活動をはじめて、窓に面した街路にはしきりに人の気配が立つのを夢の中で感じている。時々マイクロフォンによる拡声も混じるし、バイクの走りすぎる音が段々頻繁になって行く。声高に話しているベトナム語も。みんな朝から元気いっぱいだなぁ、と思いながらゴソゴソと起き出す。昨夜はじめてクーラーをつけてみた。卒論の添削や自分の論文の直しなどを抱えて来ているのだけれど、ここまで来て熱いPC画面の細かな字に睨めっこもない、と逃避し続けてきたが、ついに原稿には追っ手がかかってしまった。このままではサパまで持って行かなくてはならない。夜行列車の中で原稿を見なければならないかも知れない・・・。それでクーラーを入れて27℃にセットするけれども、あまりちゃんと働いてくれなくて効き過ぎる。気持ちはいいけれども。外の温度と違いすぎると、疲れやすいのです。皆さん、調子に乗ってガンガンかけていませんか?環境的にも、そして自分のためにまず悪いのです。沖縄を初めとする(亜)熱帯を旅行するときには、出来るだけ外気の温度と近づける方がいいというのが僕の経験則です。インドや砂漠の50℃というのは経験したことがないですが。チェンライの乾期には絶対に来るなと言われました。チュニジアの8月も同じだと言うことで、シシリーから目と鼻の先であったが、諦めた。ゼミ生を八重山やベトナムに連れて旅していると、一日中「暑い、暑いっ」と繰り返します。誰でも暑いのです。西表などで繰り返していると、口に絹着せぬ島人からは「暑いと聞くと、よけいに暑くなる」と怒られました。以来、ため息としては「暑い」とは言わないように心がけています。

さて、朝ご飯は昨日のパーティーの残り。ご飯などはすっかりここの朝食のチャーハンに再利用されていました。鶏のスープは味がなじんで絶妙な味わいです。これならベトナムの屋台に勝負が挑めそうだ。しかしここの従業員の兄ちゃんたちは、ノラクラしているように見えて、じつは勘所ではよく働いている、ということが長期滞在で判ってきた。5時おきで二人で朝飯の準備を、あの整わないキッチンでやっている。トマトや胡瓜もじつにキレイにスライスし、スープにチャーハンも鼻歌交じりに作ってしまう。鍋1個にフライパン3つほどです。包丁もチャチなもので、切れないことおびただしい。これを毎日やるのです。皆さん出来ますか?もちろん食器を洗って拭くことも。

朝の散歩少々。薔薇の小さいのを色違いで10本2万ドン。それから5月に泊まったホテルの当たりまで足を延ばす。この旧市街も毎日地図を片手に歩いてみないと、なかなか判りにくいです。しかし。地図には細かなとおりの記してあるので、信頼は出来ます。一番いいのは市販の地図を買うことです。しかしこのゼミ生で地図を買った人を見かけていません。これはやや驚き。しばらく滞在する街では、まず入手が鉄則です。運転手つきとか、ビジネスオンリーなら別だが、旧市街の地図だけ手に入れて、貿易大学はじめ、他の場所を確認しないのは、街への関心が開かれていないと言われても仕方ないでしょう。昔、台湾の田舎町にまつりを見せに実習した時に、見知らぬ街に放り出したら途端に行き場を失って、途方に暮れたことがありました。同行した沖縄のカメラマン比嘉康雄さん(故人、祭祀をたくさん撮りました)は「君たちは街の歩き方を知らないねぇ」と漏らしたものです。僕の知るところ、群れないで果敢にアタックしているのはワンちゃん、ユキちゃんというところでしょうか。今後の展開に期待するものです。

それから馴染みの骨董屋へ。家人注文の民俗宗教画1福を購入。何だかよく判らないのだが、少数民族の儀式の際に魔よけのようにずらりとぶら下げてある鍾馗さまのような王様の肖像だ。大津絵という滋賀県の民俗画があるが筆致など少し似ていて、目がギョロギョロしていて、滑稽だ。10年前くらいだという。お姉さんの主人はいつも勉強家である。嘘がない感じが頼もしいので、値切りもしない。もう一つモン族(これはサパです)の田植えに苗を入れて携行する魚籠のような煤竹の小籠も買う。$4くらい。こういう古いものも段々でなくなって、とこぼしていた。不思議な商売をしている人もいるものだ。買い物していたら遅刻しそうになりあわてて帰る。

昨夜は4時前後まで準備だそうで、12時の出発時で、昼飯抜き、ゾンビイ見たいにタクシーに乗り込んで中でお昼寝。これで大丈夫かと心配した。インスタントコーヒーなどで気付け薬に。しかしよくがんばりました。少々甘いところがあったり、質問にはたじたじであったりもしたが、僕がかき混ぜたりいろいろして、大幅時間延長。1時から6時過ぎまでの長丁場になりました。それから和服の着付け教室は大人気。10着持っていっても大丈夫。浴衣のコピーもすぐ作れるそうで、VJCCで20着くらい持っているが、着物は2着だけ。貸してくれと言う引き合いも毎月だそうで、すこし古くなってきていると。われわれの古着でも大歓迎である。REOPLEにはもうひとつ評判の悪い僕のオークション狂いも役に立つときがあるのだ、エヘン。

日本レストランにショバを変えて9時まで大賑わい。鮨定食や、幕の内弁当に随喜の涙を流す。出国以来、やまねこ@サイゴンの怪しげな突き出し以外和食を禁じてきたので。

こんな感じで天王山は越えました。今日は安らかに眠れますように。(2207字)
 

9月18日(木)続いて晴れ、蒸し暑い

 投稿者:竹尾茂樹メール  投稿日:2008年 9月19日(金)11時33分31秒
返信・引用
  2000字の宿題を出したので(1400字にディスカウント)こちらも書いているし、午前中はこの読み合わせと赤入れに時間を取られる。その前に朝ご飯食べに出かけるので、7時から起きてもほとんど時間ないのだ。サイゴンでもう一回ヨガをやっとくべきだった。朝ご飯は近所の屋台を3軒くらいはしごした。春巻きの生みたいな、クレープのような物にそぼろを挟んだのがホテルの向かい、卵まきも食べて2万ドン、次はお粥を見つけようとおばぁの鍋の蓋を取ったら小豆を炊いてあった、甘い物屋だ、行きがかり上、ここでも食べることに。ご飯が甘いスープに。まぁ一種のおじやだ。そしたら別のおばぁが来てサーターアンダーギー(沖縄)のような甘い菓子も売られてしまった。朝から6万ドンほど食べたことになる。おばぁの餌食だ。しかし朝には生活の味わいがあっていい。写真も撮りやすい、光線もいいです。寝ているのとか、ホテルに引き籠もりで出来合いの只飯ばかり食べるのは勿体ないので辞めなさい。外に出よう!!薔薇を5本6万ドンで買う。

昼はホテルの隣のフォー屋が残りの米粉の麺を昼にも出している。豚肉薄切りを甘辛く炒めたのと、春巻き揚げたのを切って、ドクダミや大葉の葉と和えて胡瓜の輪切りの入った酸味のある出しで食べるものだ。2万ドン。一人の孤独な食事であった。緑茶つきにして少し2万を出た。それからTopasの事務所までタクシーでチケット受け取りと残金の支払いに。本来向こうの営業が来るべき金額だが、それを呼びつけるところがベトナムらしい。5万ドンくらい(つまり300円)かかる道のりです。$2300キャッシュで払い、残り$1000あまりをクレジットで。今回最高額の支払いである。セールスマネージャーも、札を数える手がふるえる、とまで行かないが、慎重を期して何度も何度も数え直し。だいたい米ドルが紛らわしいし、100ドルから1ドルまであるので迷惑千万。でも会計係の女の子は、ドルの細かいのが助かるわ、だそうだ。学生たちはベトナム人とサッカー交流に。草の根日越交流である。思わぬ落とし穴がありませんように。

大任を果たして帰路は旧市街の手前まで。5月にバチャンへ行った、苦労したバスターミナルは目下工事中。またバス停がなくなっちゃった。
そこから前に泊まったパラダイスホテルなどを発見して、懐かしい町並みを確認。しかし民俗的な宗教画を買った、物静かでいかにも昔のものが好きでやっているという感じの、ベトナム人にはあまり見ないタイプのお姉さんの店は判らず仕舞。変わりにこれも街の喧噪の中にあって取り残されたかのように営んでいる骨董屋を再発見。半分は見つけられた。400年前とか900年前とかのハノイの王朝の陶器を見せて貰う。ホンマかいな、だが、出されても結構と少々購入。その前には市場の脇の調理用品や箒などの雑貨を扱う店の軒に突っ込んであった竹のステッキを購入。$5とやって来たのを。$3と譲らず、向こうが折れる。ホントは$1かも知れないが・・・削って龍の絵柄などが黒く浮き出しているのが案外細やかなのである。サパのトレッキングの道のりが念頭にあるのだ。黍のような薄くて軽い財で作っている扇子も$1で購入。これは間に買って重宝していたが、使いすぎてかなめがばらけてしまった。少し香を焚きしめたりしてみたら、ずいぶん上等な品に見間違えられたものである。これもお人柄であろう。どうも防備禄がわりに、お金の記録と買い物ばかりになってしまった。

骨董屋の店主は相変わらず、悠揚迫らない物腰である。これはどれくらい古いかというと、たちどころに800から900年前でリー王朝とか答える。窯疵のあるお茶碗も、大丈夫かとフェイントをかけてみたが、チャンとその旨を説明した。40過ぎと思うけれど、どこで勉強したものやら、謎の人物だ。包装は嫁さんが出てきて、丁寧に。娘みたいのも二階から顔を出している。こんな世過ぎでも生活できるのだろう。この旧市街三六通りはおおよそほっつき歩いたけれど、こうした一応キチンとした骨董屋はここだけだ。塩川君の家の方へ向かう街道の両脇も古物屋街だが、前回だかに相当見て回って、しかし見るべきものはなかった。900年の歴史を誇る古都の忘れ形見はいったいどこへ行ったのか。先の戦争の中で粉塵と化したのだろうか。16世紀には安南焼きとして琉球王国を経て、日本に由来して、茶人も珍重したと言うけれど。

6時に帰るとホテルのフロントでは、今夜の自炊の買い出しのリスト作りに余念がない、と言うか大騒ぎだ。さて夕食はいつのことやら。

ここまでは僕の担当分消化。1400字です。あとはお節介他。
明日はいよいよハイライトの合同セミナーですね。期待と緊張入り交じった前夜でしょう。こういう興奮もいいものです。泣いても笑っても1回切りの機会です。
実習中の様々なイベントについて、必ずしも足並みがそろいません。そろそろ慣れても来たし、それぞれの「地が出て」きて、ここは譲れない、ここはいっしょにやろうと、分かれるものです。これは例年のこと。しかしみんなでやることもありますから、これは外さないで下さい。あとはそれぞれの裁量でやればいいことです。厭なことを無理してしなくてもいい。でも何故人がして自分がしないのかは考えてもいいですね。あるいはベトナム人がして自分に出来ないことは何か、それは何故か。疲れも出てくるし、昼間は蒸し暑いし、なかなかタフな環境です。そこで何をするのか、なかなか判断が難しい。少し冒険してみて下さい。自分のからを出て。自分の出て来たくないからが何物か、よくわかることでしょう。そしてちょっと努力することでしょうね。安きに流れてはやはり残念です。限界を感じて、もう少しと頑張ってみることも必要でしょう。気持ち悪いけれど、蛇も食べてみるとか・・・・明日はグッドラック!!(2398字)
 

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