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2017年新春 振りかえり見つめる展

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2017年 1月30日(月)19時14分16秒
   あまり振りかえりたくも見つめたくもないのだが、新年会を兼ねての出品ということで。
 マンガ描きの過去絵は黒歴史と呼ばれる恥ずかしいもので、よほどの人でなければ遠い過去に描いたものを持っているとは思えない。かくいう私も同じというか、それは私のことだと。そのようなわけで出すものもなかったのだが、弊サイトの『筺中画廊』→「私的画集」をやめたかったので、そこに掲載されているものを出品画に再編集することにした。
 これはCGを描き始めた直後のものだから、2001年か2002年の作だろう。CGなどボタンひとつで削除できるので、過去のものはほとんど残っていない。それに最近はカレンダーと出品作で手一杯なので、私的に何かを描いている暇もない。それならこのコンテンツはなくしてもよいだろう。なにしろ2作しか掲載していないし、過去のものもなく今後も増えそうにない。
 というわけでA3ノビにひとまとめにして、近所の花壇で撮ってきた花を添えてできあがり。過去のものを持って来いというのだから、これだけ手を加えれば充分だろう。元はと言えばデータの受渡用のCD-Rのケース用に描いたもので「何のデータが入っているのだ?」と思わせるつもりだった。下着姿の女の子の絵で『Lingerie Collection』と描いてあるのだから、受け取った方も困るだろうと言うことで。
 なぜか当時のフォトショップVer.5.5に、ドイツ亀甲文字のフォントが入っていたのでそれを使ったのだが、Windowsを新しくしたら消えてしまった。今はフリーソフトをインストールして使っている。ただでさえ難しい綴りで、しかも亀甲文字だからちゃんと読めたかどうか。
 絵描きの皆さんは過去のものもちゃんと取ってあるようだが、いったい家にどれだけ溜まっているのだろうか?。公募展などに出すとなると50号とか100号もあるだろうから、長いこと描いていれば倉庫くらいは必要になってくるかもしれない。絵の具代もずいぶんかかっていることだから、なかなか処分できないだろう。つくづくCGは安上がりで、ありがたみもあまりないかもしれない。
 アートスペースイワブチの年明け一番ということで40名超の参加があり、なんとか押し込んで飾り付けを終えた。オープニングパーティーも大勢集まり、まづは順調な出だしになったと言えよう。
 こちらは作るもなにもデータは揃っているのだから、去年の11月下旬にはできあがっていた。おかげでこれから続く怒濤の出品をなんとかしのぐことができたようだが、あいかわらず順調に遅れている。
 
 

元日撮影記

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2017年 1月 7日(土)17時41分0秒
   元日に終夜運転をする鉄道は多いが、ヘッドマーク付きの運行をする会社は意外と少ない。地元では京王電鉄が積極的にやってくれるので、こちらも撮りに行くことにしている。もっともカレンダーを作っていなければ、ここまで積極的ではないだろうが。
 京王は8000形の1編成を全面緑色のラッピングにしている。これを去年の迎光号に当てたのだが、体調がすぐれずに撮りに行くのを断念した。今年もたぶん運行に入るだろうと期待して、出かけることにした。
 少し早く着いたので、まづは都営新宿線から乗り入れて来る迎光号を見に行ったが、コルゲート仕様の10-000形に鶏のヘッドマークが付いていたので、撮らずに本線新宿駅に戻る。
 本線側の迎光号が到着する少し前に、各停高尾山口行が出て行った。各停のホームの案内を見ると、次の各停は5時過ぎになっている。まだ3時なのに、その間は特急と急行しかないのか?。以前に撮りに来たときのダイヤもそうだったかな?いや、前は高尾山口駅まで乗って行ったのだっけ。と考えているうちに本線側の迎光号の1号が入って来たが、はたして緑電車だった。
 撮ったのはよいが、特急では帰れない。小田急で帰ろうかと思ったものの、着いてすぐに改札口を出入りしてしまったので、京王の切符で帰るしかない。たしか、都営新宿線から乗り入れて来る電車が各停だったはずだと思い、特急の迎光号に乗って明大前駅まで進む。
 ところが降りてみると次に来る各停はことごとく桜上水か八幡山止まりで、本当にそれ以上先まで行く各停は5時過ぎまで待たなくてはならなかった。いくらなんでも環八の手前で降ろされたくはなかったので、しかたがなく次の急行の迎光号に乗って、仙川駅のひとつ手前の急行停車駅・千歳烏山駅で降りることにした。
 急行は千歳烏山駅の次は仙川駅を通過して、次のつつじヶ丘駅に停車する。仙川駅だけは急行が停まらなかったが、今では区間急行が停まる便利な駅にはなったのだけど。それにしても、京王の速い電車の停車駅は増えてきたような。
 つつじヶ丘駅で降りた方が僅かに近そうだが、回数券なので1駅分の運賃を丸々取られるし勾配がきついので、千歳烏山駅から歩いた方がよい。しかも車と違って徒歩だと斜めに切って歩けるので、思ったよりも時間はかからなかった。
 京急大師線でもヘッドマーク付電車を運行しているそうだが、これは来年でもよいだろう。あとは小田急ロマンスカー30000形EXE車が新塗装になってニューイヤーエクスプレスに入るかもしれないので、またそのうち撮りに行くことになりそうだ。
 

'16年ゆく年'17年くる年小品展

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2017年 1月 4日(水)14時47分6秒
   これがいつも、年の締めくくりの展覧会になる。最後なので自由に描きたいと言いながら、これまでなんとなく季節も加味してきたつもりだが、今年から開き直るというか冬のネタがなくなったというか。
 どうもそのときの企画によって、趣旨とか季節とか地域とかを絡めないといけないような気もするので、そういうものがないネタが溜まったきてしまった。それを少しでも減らすために、こういう場を利用することにしてみた。
 まともに絵を描くのならば何も問題はないのだが、背景を写真にしていると、どうしても制約が出てくるものだ。各季節ごとに大量に撮っておけばよいのかもしれないが、なかなかそうもゆかない。
 というわけで、季節も何も関係ないものとして、東急の絵でも。もうだいぶ前になるのだが、初めて東急の今のマークを見たとき、ビキニのショーツを連想してしまったので、それをこのたび描くことにした。それだけではどうかということで、両側に電車とバスを配した。
 電車は5000形を菊名駅で撮ったが、今ではホームドアが設置され、同じ写真は撮れなくなった。安全上必要なのだろうが、撮り鉄には困った存在である。意外と撮れなかったのがバスで、地元成城学園前駅西口で何度も撮ったもののよい写真にはならず、けっこうぎりぎりに仕上がった。
 背景はどうしようかと思ったのだが、ちょうど二子玉川駅で8500形を見かけたので、窓下のコルゲートを撮っておいた。東急づくしにビキニショーツという、関係者が見たら気分を害しそうなものができたのだが、出してみると「ああ、なるほど」と好評だった。一目でわかった人、言われてわかった人と多様だったけど。
 それはそうと、画廊によって開催曜日を決めているところとそうでないところがある。決めているところというと、みつい画廊と銀座STAGE-1で、アートスペースイワブチはそのあたりが自由だ。みつい画廊は日曜が搬出入なので、しかたがなく前日搬入の後日搬出にしてもらっている。今回のイワブチはめずらしく日曜の搬出入に当たってしまい、飾り付けの手伝いに行けなかったし、搬出もできずに年明けの『振りかえり見つめる展』の出品作を額の裏に仕込んだまま年を越させてもらった。
 かくして史上最高の年14回出品は終わった。
 

トミックス キハ17系

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2016年12月14日(水)22時30分17秒
   ローカル線の気動車と言ったら、やはりこれだろう…というキハ17系だが、なかなか模型化されなかった。たぶん理由は車体の幅が狭いからではないかと思われる。HOゲージならともかく、動力装置が一体化されているNゲージだと、新たな動力ユニットを製作しなくてはならないので、費用対効果とかいろいろあったのかもしれない。
 記憶が曖昧なのだが、どこかから真鍮製のキットが出ていたような気がする。真鍮製ならプラスチック製よりも薄くできるので、関水金属のキハ20系の下回りにかぶせてもスケールモデルになるのかもしれない。
 あとは津川洋行が出来の悪いものを出していたくらいで、まともな製品は皆無だったはずである。またグリーンマックスの話になるが、動力ユニットの床板をリブのところで切ってはめろとかいう仕様にすれば、平キットで売り出すこともできたかもしれない。さすがにそこまでは、余力があってもやらないと思うが。
 実物のキハ17系は、初の量産型液体式気動車として昭和30年前後に造られた形式である。液体式というのは、自動車で言うところのAT車で、トルクコンバーターのおかげで総括制御(1人の運転士が連結された複数の動力車を運転すること)が可能になった。
 当時の技術では、まだフルサイズの車体を載せられなかったのか、車体幅が2600mmという狭さで、Nゲージ換算をすると1.3mmの差が出る。さすがにこれは、ごまかせないだろう。
 その後、早い時期に標準的な車体を有するキハ20系が登場すると旧型扱いにされて、よりローカル路線に追いやられたり、荷物車や郵便車に改造されたりするようになった。それでもずいぶん長いこと旅客車として生き残り、個人的には相模線の印象が強い。電化されている横浜線も73系の時代に、橋本駅のホームの反対側にはキハ17系が停まっていたのを覚えている。たしかその頃は、横浜線も町田-八王子間は単線ではなかっただろうか。
 そのようなキハ17系がトミックスから発売されたのはよいが、なぜにハイグレード仕様?。関水金属のキハ35系もそうだが、最近の模型はきれいすぎないか?。もちろん無用に高価になっているし。ローカル気動車など、関水金属が数十年前から出しているキハ20系の水準でもよいと思うのだが。そう考えると、いつもながら関水金属の金型技術には敬服する。キハ17系など、なにもトミックスからではなく鉄コレでも充分だと思うのだが。
 とはいえ、これも在庫があったもので4輌を買い揃えた。動力車はキハ11にしたかったのだが、あいにくキハ10しかなかったので入れ替えようかと思ったのだが、ライトユニットの形状がM車とT車では異なっているようだった。どうせ取り外すのだから、あとでなんとかなるだろう。単行運転はキハ20に任せたいので、あまり単行運転をするつもりはないが、一応することも考えて動力車は便所付のキハ11にしておきたい。
 旅客車のほかにキユニ17が製品化されていたが、うちの設定線区にはいなかったのでキハユニ18を出してほしかった。なければ改造したいところなのだが、値段を考えるといささか躊躇する。
 それはそうと、国鉄気動車で塗装済完成品として頑なに製品化されないのは、キハ20系の初期型だけなのだが。キハ17系が出たところでDT19も製品化されたのだから、あとは車体だけをなんとかすれば、後期型を出しているトミックスなら簡単ではないだろうか。
 

FB1

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2016年11月28日(月)23時44分43秒
   成り行き上始めることになったフェイスブックだが、毎日のように写真と短文を掲載し続けている。写真は1ヵ月分くらい溜めてあるので、時事ネタを含めれば当分枯渇することはないかもしれない。少なくとも年内には。
 それにしても展覧会情報が多い。情報といっても最終日近くに行くことも多いので、それでは行ってみようという役には立ちそうもない。そういえば自分が出品している展覧会情報がないが、ちょうどこの時期は休止状態になっている。今のうちに描いておかないと、あとで大変な目に遭うのは去年経験済みである。
 そのようなわけで、掲載内容は絵とか趣味とかというアート系のものが中心になる。友達もそちらの方面が多くなるだろう。
 とはいえ、面識のない人を友達にするのもどうかと思い、今のところ少人数にとどめている。中には面識のない人もいるが、面識のある人から素性は聞いているので、同等に扱うことはできると判断した。『ゴッドファーザー』のコルレオーネのように「友達の友達は友達だ」と言えないところが、ネットの難しさでもあろう。
 それで友達申請も何人か断っているが、中には面識のある人も含まれている。それはよほどの問題児だから例外だが。こちらから申請すれば二つ返事で許可してくれる人達もいるのものの、できるだけキリスト教徒とはフェイスブックで関わりたくないので、こちらからは申請しないし、向こうも知らなければそのままにしている。どうしても断ったら角が立つ人もいたので、友達になったとはいえ、きっと向こうが今頃後悔しているかもしれない。
 だいたい私は基督者であっても、フェイスブックでキリスト教的なことを書き込むことはないし、そもそも一部の不良クリスチャンを除けば、キリスト教徒の書き込みをおもしろいとは思っていない。なんか宗教的掲示板みたいな感じで、内輪では楽しいのかもしれないが、私やアートの関係者には楽しいとは思えない。
 それに私が教会に通いつつ距離を置いているのは、絵に対して卑怯かつ偽善的な仕打ちをされたからだし、その連中が跋扈する限りにおいては、それに関わらなかった教会員もいつ同調するかわからないという危惧があるからだ。そういうのと関わるのが鬱陶しいので、フェイスブック上でも同様にせざるを得ない。
 キリスト教関係で絵を描くことは二度とあり得ないことだから、彼らに見てもらう必要は皆無となる。いくら私だって楽しくやりたい。教会には、サイト運営をしていることも知らせていない。知らせたら、何を言われるかわかったものではない。
 というわけで、趣味の世界をこれからも手軽に発信してゆきたいと思う。
 

開館30周年記念 コレクションの5つの物語

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2016年11月19日(土)21時35分5秒
   世田谷美術館というのはよい響だと思っていたが、その理由が今回の企画展でわかった。
 建設当時の大場啓二区長が「世田谷区立美術館ではなく、世田谷美術館にしよう」と提言したという。まだ区立美術館もめずらしい時代に、区立の二文字を付けないというのは、関係者にはずいぶん驚かれたそうだ。理由は「区の美術館(お上のということだろうか)ではなく、美術を愛するみんなが創ってゆく美術館にしたい」というところにあったという。大場区長といえば、選挙になれば当時の自社公民共が推薦するという“象徴的”な人で、名誉職みたいな感じだったと聞く。そういう人が言うならということで、世田谷美術館という正式名称が決まったのだった。
 設計は内井昭蔵で、薄緑色のカマボコ屋根が連なる外観は、広大な砧公園の一角によく調和したものとなった。惜しむらくは交通機関で、どこの駅から行っても遠いのが有名な美術館となってしまった。鉄道を敷設せよとは言わないが、せめてバス路線でも設定してくれたらと思う。成城学園前駅-用賀駅間(系統からゆくと逆になるが、私は成城の住民だ)の路線バスなど、需要はありそうな気もするのだが。
 開館は1986年なので、今年が30周年になる…って、そんなに新しかったのか?。もう半世紀くらい経っているのかと思っていたのだが。昭和で言えば61年だから、最後の方である。私が学生の頃は、存在していなかったのか。小学生の頃からあったような気がしていたのだけど。小学生の頃、前の道を自転車でよく通っていたが、なかったっけ。砧公園も、よく遊びに行っていたのだけど。 開館30年と聞いて、ずいぶん驚いたものだ。もっとも、こちらがアートのようなもの関わるようになってから日が浅いので、それ以前からあったことは確かではある。個人的に言えば「昔からあった」ということになるのかもしれない。
 このほど『開館30周年記念 コレクションの5つの物語』という企画展が始まり、いつものようにオープニングレセプションの招待状が届いた。これも自治会の老婦人が「2名まで入れるから、車を出してください」というのから始まり、その方の“笑顔の圧力”により私にも招待状が届くようになったという経緯がある。そういう意味では、私と世田谷美術館の関わりは、ここ数年ということだろうか。
 前回はご婦人が体調を崩され、私がひとりで行くことになった。2週間の入院を経て元気になられたので、今回はまた車を出すことになった。
 今回の企画展はというと、世田谷美術館のコレクションを5つに分けて展示するということだが、よい意味でヘンなものをいっぱい持っているな…という感じだろうか。「こんな泰西名画を持っていますよ」というお高くとまったようなところがなく、いわゆる「素朴派」と呼ばれる作品を中心に収集しているようである。ご婦人曰く「買いに行ったら、みんな売り切れていたからねぇ」とのことだったが、結果的に大場区長の「みんなの美術館にしようよ」という理念が実を結んだのではないだろうか。
 めずらしいものを集めているせいか、よく「貸してください」とか「写真を撮らせて使わせてください」ということもあるとか。目玉は国外ではアンリ・ルソーであろう。最初はアンデパンダン展でも理解されなかったそうだが、ルソーは私の大先輩なのだな。私も正式な美術教育は受けていないから、あるいは素朴派なのかも。
 国内では、個人的には世田谷区民の横尾忠則さんだろうか。今日もいらしていた。横尾さんの作品は、同時開催されている『ぜんぶ1986年 世田谷美術館の開館とともに』という企画展でも展示されていた。こちらは開館の年に創られた作品を展示する企画で、横尾さんが当館で公開製作した作品を観ることができる。
 余談だが、私が多摩堤通りか世田谷通りの町田方面に車で行くときに、横尾邸の前を走っていることを少し前に知った。「あそこに横尾忠則が住んでいて…」という自治会の人の話で知った次第である。ただ、2軒ある洋館のうちのどちらだかは、いまだにわかっていない。
 収蔵品だけではなく、企画展も独特な世田谷美術館には、今後も大いに期待したいところである。
 

西山彰個展 版画展『渚にて On the Beach』

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2016年11月 7日(月)23時43分30秒
   リンク先の版画家SHO-SEIZAN氏こと西山彰さんが、三浦半島の先の方で個展『渚にて On the Beach』を開いているので行ってきた。
 なぜそんなところなのかというと、横須賀美術協会のYB展でギャラリー時舟賞を受賞して、ここギャラリー時舟という浦賀駅の近くの画廊で個展をする権利を獲得したとか。都民なのだが横浜で活動し、ついには横須賀まで進出したということだが、この先は海だからもう進めまい。そのうち次は伊豆大島でやるとか言い出したら、これ幸いと調布飛行場からプロペラ機に乗って観に行くかもしれない。
 世田谷区民が浦賀に行くとなると、ちょっとした小旅行になる。このくらい遠いと覚悟を決めて行くことになるので、案外行きやすいような気もする。いつものように回数券で横浜に出て、久しぶりに京浜急行の電車に乗る。私にとっては幼少期の記憶から、三浦半島に行くのは京急電鉄ではなく京浜急行なのだ。「赤い電車に白い帯~」という半世紀前の京急ソングを覚えている人、いますか?。いまだに京急○○という駅名が言えずに、つい京浜○○と言って「?」と思われている。今、京浜川崎というと、第三京浜のインターチェンジだし。
 横浜駅のホームに上がると「快速三崎口行きが参ります」と言うので、京急に快速?と思ったが、発音が悪くて快特(快速特急)のことだった。しかもクロスシートの2100形乗って座ることができた。最近はロングシートの快特が多くて困ったものである。半世紀前は600形に乗って三崎口まで行ったっけ。
 本線のはずの浦賀方面は普通と急行(停車駅は同じ)しかないので、堀之内駅で乗り換えて浦賀駅に着く。浦賀駅の列車接近を注意する放送は、なんとゴジラのテーマだった。『シン・ゴジラ』が公開されてから変更されたのだろうか。
 浦賀駅で降りるのは初めてだが、思ったよりも寂れた町で、昔は造船で賑わっていたのに…という声が聞こえてきそうだった。昼過ぎに着いたのだが、これといって食べるところも見つからず、ドックに沿って国道208号線を歩く。途中で屋の付く丼チェーンでも見つからないかと思っていたが、船着き場まで来てしまう。ギャラリー時舟は入江の対岸なので、ここから渡し船に乗って行く。対岸にももちろん普通に道路はあるのだが、この画廊は舟に乗って行くのがよいところなのだ。タダだとは思っていなかったが、だいたいバス料金くらいか。
 浦賀の渡しと呼ばれる古くからある渡船で、渡船場に船がいなければボタンを押すと来てくれる。残念ながら停泊中だったので、ボタンを押して呼ぶことはできなかった。なんとなく、ワンマンバスのブザーを先に押された子供の気持ちである。
 双眼鏡で船に乗るところを見たらカップ麺に湯を注げば、着く頃にはちょうど食べられるくらいの航海で、ギャラリー時舟の目の前に接岸する。画廊から海まで数歩というところは、とてもめずらしいのではないだろうか。本当によいところで個展が開催できたと思う。
 そこで展開されているのはメカニカルフィッシュの世界で、ここまで来れば何をやってもよいだろうとのことらしい。海辺なので生魚でもよいのかもしれないが、なによりも造船所の近くということもあり、やはり機械魚がよいだろう。しかもここで個展を開く権利を得た作品は、案内葉書にも載っている絵で、舞台は画廊の斜向かいでもあるのだ。
 海が見える窓もある白い壁に、モノトーン系の版画が並び、外に出れば潮の香りが。中も外も途切れることがない展覧会で、帰りがたく長居をしてしまう。遠いところとはいえ来客も絶えず、横浜画壇の方々も多く来ているようだ。みんな私よりは、はるかに近いだろうが。
 2階が見晴らしのよいカフェになっていて、おにぎり定食もあるとか。カフェのテラスには舷灯まで。結局食事はしなかったが、画廊でも使っているコルク製のコースターが気に入ったので、ひとつ売ってもらった。
 だいぶ長いこと滞在していたが、何をするでもなくいるだけでよいところだが、今度は船に乗らず対岸を歩いて帰る。それにしても、なぜあまり電車に乗らないわりには事故に遭遇するかな。早く帰っていたら、だいぶ待たされたかもしれないが、のんびりしていたのでダイヤはほぼ平常近くに戻っていたものの、各停が特快よりも金沢文庫まで先行することになった。鋼製の新1000形だったから、どうでもよかったが。
 いつかこんなところで出品してみたいが、そういえば船ネタをまだ始めていないな。
 

第72回ハマ展

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2016年11月 4日(金)19時37分43秒
   ハマ展に行ってきた。そう遠くないところで仕事をしていたので、仕事の車に乗せて行ってもらおうと思ったのだが、急用で事務所に戻るというので、しかたがなく乗って行って事務所で自分の車に乗り換えて、ランドマークタワーを目指して一路伊勢山に。横着をするものではなかった。
 伊勢山の登山道にどうも車が多いと思っていたら、祝日で七五三参りか。祝日だったら、うちの近くは朝に遠回りをしなくてもスクールゾーンを走れたのだな。どうも、平日と休みの日の観念が曖昧になっている。で、休日に早朝から働かされたのか。
 登って行く車は伊勢山皇大神宮に向かうのだが、その先の横浜市民ギャラリーの駐車場もほぼ一杯で、2台分しか空いていなかった。駐車料金も格安なので、そろそろ話が広がって車で来る人が増えているのかもしれない。しかも、今日は休日だし。
 来場者もいつもの平日とは違い、かなりの数だった。これよりも多く人が入っているのを見たのは、最終日の午後くらいだったろう。
 混んでいるとはいえ、あまり知った人もいなかったが、どこかで確かに会ったような人がいたので、距離はあったが挨拶したところ、たぶん向こうも同じ気持ちで挨拶していたようである。
 いつものように階段で地下1階に降りて、エレベーターで3階に上がって階段で降りつつ観て回る。ちょっと気になったのが写真部門で、なぜか高齢者が多かった。どうやら観に来ている人というよりも出品している人のようだったが、ここはそんなに平均年齢が高いのだろうか。そのせいか、作品云々よりもどこか異質な世界のように感じられた。
 絵の方はというと、知っている人が何人も賞を取っていたようである。中には会員だと思っていた人が推挙されていたり、まだ知らないことが多いようだ。休みの日とはいえ、個展だとか教室だとかで来られない人もいるわけで、必らづしも会えるわけではない。いなくても「今年はこれか!」という楽しみはある。
 それでリンク先の版画家SHO-SEIZAN氏だが、今回はメカニカルフィッシュシリーズの新作を出品していた。題は『IRONBOTTOM』という。何かといえば、破壊されて沈没した機械魚の残骸が山となっているところである。まだ見たこともないメカもいくつか。一応兵器なのだから、戦闘で撃沈もされることだろう。標準型とおぼしき機械魚が、口を開き目を見開いて着底しているところなど鬼気迫るようである。よほど激しい戦闘があったのかどうか。
 ところで、沈んでいるのは機械魚だけではなく、通常の水上艦艇や潜水艦もある。元々、両方が混在する世界のように描かれていたようにも思われるが、ここにきて世界観の謎がさらに深まってきたようである。調査に来たとおぼしきは、どうやらチョウチンアンコウ型の潜水艦なので、どちらかの仲間なのだろうか。
 どこまで続くかこの世界。また新たな展開が期待される。
 駐車料金を払って坂を下り、左折してアートスペースイワブチに『クロス展』を観に行く。岩渕女史とは市民ギャラリーでお会いしたので、当番の方がいることだろう。現代かながわ美術協会の有志でやっている展覧会なのだが、顔と名前と作品が一致するのは岩渕女史だけで、もうひとりは作品と名前は一致するものの、お会いしたことはないと思われる。ところが、当番の方から「お会いしたことがありますよね」と言われ、そういえばこちらにも記憶がある。たぶん、ここで多数の中のひとりだったと思われるが、あちらもそんな感じのようだった。
 この会は具象あり抽象ありだが、どことなく整然とした雰囲気が心地よい空間を創り出している。
 

阿曽沼明個展

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2016年11月 2日(水)22時46分25秒
編集済
   横浜でよくお会いする阿曽沼明さんが、銀座で個展をやっていることを知った。私が見落としたのか、先日横浜の画廊を何軒か回ったときには、案内葉書を見つけることができなかったのだが、フェイスブックに掲載されて初めて知った。
 とはいえ会期もなかばになっていたので、行けるのは今日しかないということで、ちょっと予定を詰めて出かけることにした。場所は銀座7丁目なので、渋谷経由新橋下車が安い。だけど、銀座線は動いているのだろうか。渋谷駅の線路切替工事で、今月は2回4日の運休があると聞いていたが。調べてみると5~6日が運休だったので、普通に行けることが確認できた。たしかに平日の全面運休もないだろう。
 銀座線の渋谷駅に着いてみると、やはり工事は進んでおり、写真を撮ってもしかたがないくらい昔の面影はなくなっていた。一度だけ鋼製の電車が走っていた頃に撮ったことがあるので、とくに記録は残す必要もなかろう。今のビルも、01形と一緒にヒカリエから撮っておいたので、それでよしとしよう。
 新橋から一度も通ったことのない路地を北上して、光画廊というところに入る。おちついた空間に、さりげない和風を感じさせる画廊で、今回の作品群には大変よく合っている。阿曽沼さんといえば、私にとっては“工事現場の人”だったが、今回の作品はその次の世界なのだろう。
 なぜ工事現場なのかというと、工事現場を題材にトリッキーな作品をいくつも発表していたからで、以前いただいた名刺の裏もそういった作品だった。
 最近はテーマが大きく変わって、金箔を貼り詰めた上に油彩で描く作品に移行している。横浜の画廊展で最も水準が高いと思われる『坐・琳派展』でそれらの大作を観ることができたが、今回の個展は同じ技法の小品群を並べていた。板にカンバスを貼って金箔を貼り詰めるといえば、ともすると成金趣味にも思われがちだが、そのあたりは発想と画力の高さが跳ね返して、実におちついた琳派の世界を現代に伝えている。今回はむしろ、果実などの静物や小動物を題材にしており、洋画と琳派の融合と呼ぶべきだろうか。
 特筆すべきは、題材と同じ形を影のようにずらして、そこにまた風景などを描きたすという手法で、これにより密度と奥行きが増し、金箔の平面的な全体の中に深い世界を構成しているところだろうか。また、金箔の縁の部分に細かい凹凸を付けることにより、単なる平面ではない画面を醸し出している。
 全体がよく調和した作品の並びで、たいへん見応えのある個展だった。
 以前から「阿曽沼さんって、あなたと同じ大学でしょう」とか「いや、隣の大学だと聞いているよ」とか言われていたが、このたび同じ大学だったということが判明した(私は絵とは無縁の経済学部)。4年で卒業したとすれば、私が卒業した翌年に入学したものと思われるので、学内ですれ違ったこともなかったはずである。それにしても、芸術学科にこれだけの人がいたのか。
 

10×3

 投稿者:編集・発行人  投稿日:2016年10月31日(月)20時22分44秒
   今のパソコンがWindows7のサポート終了までに壊れることもないだろうということで、無料でできるうちにWindows10に換えておいたのが、無料期間ぎりぎりだったので3ヵ月経過したことになるのだろうか。
 いろいろと前評判も聞いていたのだが、使ってみると7とほとんど変わらない。心配していたソフトもそのまま引き継がれ、問題なく日々作動している。7からのアップグレードだと、立上時に求められるパスワードを入力しないでデスクトップを開くことができる。7のアカウントがそのまま引き継がれているとかで、そのあたりはずいぶんと楽をしている。
 立ち上がりについては、たしかにデスクトップの表示までは7よりもいくらか早いようだが、直後にソフトを立ち上げても使えるようになるまでは、総合的に見ると7とあまり差はないように思われる。むしろシャットダウンがとても早くなった。
 7の頃は、ときどき勝手に再起動がかかるという問題があったものの、10になってからは今のところ一度も発生していない。より安定しているのか、8.1が標準だったマシンに7を入れたのがいけなかったのかどうか。
 パソコン用のOSは10で終わりということらしいが、バージョンアップはされるわけで、聞いた話では年に2回の大きな更新があるという。詳しくは忘れたが春と秋くらいらしく、少し前に長時間の更新があった。何がどのくらい変わったのか知らないが、いざ使おうかというときに長時間待たされるのもどうかと。
 どういうわけか、大きな更新になるとスキャナーのドライバが消えてしまう。7から10に移行したときも同様だったので、そのつどダウンロードフォルダに入れてあるドライバを実行せざるを得ない。
 そういえば、1ヵ月くらい前の更新だったか、終わってみたらデスクトップがおかしくなって、何度か再起動を試みて少しはましになったことがあった。直後にまた更新があって、それで元に戻ったところから修正パッチが配布されたのではないかと思われる。立ち上がったからよかったものの、いつぞやのXPのようなことがないようにしてほしい。そのときうちは、まだ2000だったかもしれない。
 デスクトップはフレッツ光だからよいのだが、ノートはモバイルWi-Fiルーターに頼っているので、どうも大きな更新が入ると数GBの通信がなされるのだろうか。いつも1GB前後の通信が4GBを超えていたので、たぶんそのあたりではないかと思われる。あとは、対ウイルスソフトのモジュールアップでも重なったかもしれない。
 モバイルWi-Fiルーターの通信量は常に確認しながら使っているので、数字が跳ね上がったら大きな更新がなされたと思えばよいのだろうか。
 それはそうと、そろそろ絵と写真以外の全体のバックアップをなんとかしないと。
 

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